おそらく普通はゲストハウスをやりたいという目標を持ち、そのためにコツコツ貯金をして、開業する際にある程度の自己資金と金融機関などからの借入でゲストハウスを開業するのではないかと思います。
ポルトもそういう形で開業できればよかったのですが、店主は今年の夏までゲストハウスを始めることになるとは全く思ってもいませんでしたし、自己資金も全くありませんでした。(当時の口座残高は6,102円でした。笑)
それでも、金融機関から500万円を融資していただけたのですが、いざ内装工事とインテリア・小物の購入を行ってみると想定以上にお金がかかりました。
クラウドファンディングもオープンする前にしたかったのですが、宿泊券をリターンにしようとするには営業許可の取得後でないとできないなど、こちらも想定できていなかったことが多々あり、オープンと同時にスタートするような形になりました。
事前にきちんと調べておけよと言われればそれまでなのですが。笑
ポルトを開業しようと思ったのは地元の門司港のためにという想いが強いです。
僕らが生まれる前から門司港に暮らす人たちが脈々と紡いできたのがいまの門司港です。
上の世代の人たちに任せてばかりで僕らの世代が必要な役割を担っていかなければ、いずれ僕の好きな門司港のまちの景色や門司港らしい風土が失われていくんじゃないかと思いました。
門司港は明治・大正時代に日本有数の港町として、日本でいち早く西洋の文化が入ってきて、日本の近代化を支えたまちです。
「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった出光佐三さんが海の上で油を売っていたのが関門海峡で、その当時門司港は非常に栄えていました。
今は当時ほどではないですが、門司港は日本の主要な貿易港の1つで関門海峡を往来する船の数は非常に多く、今でも日本中・世界中の船が門司港に訪れています。
とはいえ、北九州市全体にも言えることですが、産業構造の変化によって鉄を中心とした製造業の衰退から、徐々にまちが衰退してきています。
少子高齢化は多くのまちで問題になっていますが、門司港も同じく少子高齢化が進み、社会人になってまちを出ていく若者も多くいます。
でも、門司港に住む人達の多くは門司港というまちが好きで、今は他のまちに住んでいる友人達の多くも門司港が好きですし、他のまちに比べても門司港出身者や門司港に暮らす人たちは自分たちのまちのことが好きなような気がします。
それに、門司港の人たちはどこか陽気でいつも笑っているような気がしますし、港町だからか非常に開けたまちでもあるように思います。
僕自身もそんな門司港というまちが好きで、自分の生まれ育ったまちが門司港だったからこそ他人と変わっていることがどうだとか、無理にまわりに合わせるとかも考えたこともなく、自由にのびのびと育つことができたのではないかと思っています。
古い建物を活用してゲストハウスをつくることはまちの景色や文化を守ることになります。しかし、建物や形あるものはいずれなくなってしまうものです。
僕自身はまちの景色や建物を守りたいという想いと同時に、それ以上に門司港というまちが育んできた文化や風土を次の世代、またその次の世代にも紡いでいきたいという想いが強くあります。
これからテクノロジーがさらに発展して人の暮らしも大きく変わっていきますが、門司港というまちの陽気さや温かさがきっとこれからの人の暮らしで大切にされていくものなんじゃないかと思っています。
だからこそ門司港というまちからゲストハウスという事業を通して多くの人に門司港の風土や文化にふれてもらいたいと思いますし、昔のようにまた門司港から新たな文化が生まれ、それが日本中・世界中に広がっていくようになればいいなと思っています。
店主自身は特別な才能があるわけでも、特別な能力があるわけでもなく、非常に凡人です。
凡人でも地方で事業を始めることができているということで、後に続く人達の背中を押すことができればいいなと思っています。
こんな想いに少しでも共感できたり、応援してもいいなという気持ちになりましたら、ぜひご支援のほどよろしくお願いいたします。
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