ぶんるい 霊長目 ヒト科 あきない属
せいそくち 基本的にはありや。たまに法被を着て町のお祭りなどに現れることも。
ひと
無添加で新鮮なお茶が売りの【お茶のありや】店主。
この道50年!
【門司港まちゼミ※】も取り仕切っている町の重鎮。
※脚注:門司港まちゼミ
商店街のお店の人が講師となって、プロならではのコツや情報・専門知識を受講者(お客さま)にお伝えする少人数制のミニ講座。
13講座から始まった門司港まちゼミも今回で8回を数え、講座は40 にまで増加、定着してきた。
「みんながいいことを知り合って、いい知識を持って行動できるようになれば」とつとむさん。
お茶のことを詳しく知らない人が増えてきた頃から頼まれて公民館で講座をしていたが、店でやったらお客さんが喜んでくれるだろう、と思いつき、まちゼミにたどり着く。
ポルトとのかんけい
ポルトのお茶は【お茶のありや】産!
つとむさんは、ポルトの動向やイベントを逐一チャックしてくれている心やさしきご近所さん。
みせ
創業68年。
つとむさんのお父様がご友人と一緒に、当時めずらしかった“お茶屋さん+喫茶店”として始めたお店。
砂糖が貴重だった時代に美味しいぜんざいを出し、一世を風靡する。
『甘党の店』という意味から、甘いものに寄ってくる蟻をイメージして【蟻屋】と名付けられた。
「その当時の堅物の親父たちが考えたと思ったらかわいいやんね」と笑うつとむさん。
支店として出した今のありやは、柔らかい印象に変えるためひらがな明記に変更。
紅茶もコーヒーも輸入品もあるような先端の店だったが、時を経て今のようなお茶に絞ったお店へと落ち着いた。
ちなみに、その名残として今もコーヒー豆を販売している。
れきし
若い頃から商売に魅力を感じ、大学は商売の街とも言われる関西へ。
学生でありながら商売もする人たちの同好会を立ち上げるなど、当時としては最先端の活動をするほどの根っからの商売人。
卒業後は静岡のお茶屋さんに就職したが、一年くらいで切り上げて【ありや】を受け継ぐ。
最初は外回り営業をしており、お父様から代を譲られるときに会社を大きくするか悩んだが、大きな会社はそれだけたくさん人を雇い、たくさん仕入れて、それだけ心痛する。
どっちがいいかと考えたときに、楽しみながら明日の飯が食べられるのなら小さくてもお茶葉だけにこだわった店で食べていきたい、と思い、今の【お茶のありや】が生まれた。
つとむさんの仕事道具。
茶葉と同様、深い愛情が注がれている。