門司港には「ただいま」と言いたくなるような、いつでもあたたかく迎えてくれるお店がたくさんあります。
一度訪れただけで思わずお父さんお母さん、と呼んでしまう、そして気づけばまた会いたくなる。
そんなやさしい店主さんが待っているお店をご紹介する「ただいま、門司港」。
第二回目は、11月18日にのれんを下ろした「五島うどん 和ちゃん」です。
ガラガラっと戸を開けるといつも聞こえる威勢の良い「いらっしゃい!!」の声。
「五島うどん 和ちゃん」は、いつも元気いっぱいなお母さんとしっかり者の娘さんの二人三脚でお店を切り盛りされてきました。
お店を閉める数日前、たくさんの「ただいま」を迎えてきたお母さんにお話を伺いました。
---- うどん屋を始めたのは何年ですか?
お母さん 昭和58年。
---- そうなんですね!なんでうどん屋さんをしようと思ったんですか?
お母さん 私の姉がね五島に行ってね、「たえちゃん」ってうどん屋をしていたんですよ。その頃、ぼちぼちバブルっていうよりも仕事がなくなっちゃって、それだったら「たえちゃん、うどん屋しようと思うんやどどんなん」って聞いたら、「お前がするんだったら行こうかね」って言って姉夫婦がきてくれて。
---- 門司港に?
お母さん そして私にうどんのだしの揚げ方とかさぁ、ゴボウの揚げ方とかね。
---- それで教えてもらったんですね。かずちゃんうどんは出汁はどうしてるんですか?
お母さん 出汁は飛魚でとってるからね。
---- アゴ出汁なんですね。
お母さん そうそうそう。
名物だったごぼ天うどん。澄んだ茶色いアゴ出汁スープに、細い乾麺。この細さが、五島のうどんの特徴です。
お母さん そんなにあんた、お客さんも来ることなかったけん。今まで(笑)。最近になってから「和ちゃん、もうやめるんてね」ってなんかみんなワーワー言ってくるけどさ。だけん、ねぇお客さんてのは勝手なんやろ(笑)
---- 私もね、最近ようくるしね。(笑)
お母さん うーん、きてくれるのはありがたいんだけどね。(笑)
今では、すっかりうどん屋として馴染みのある「和ちゃん」ですが、なんと、元々はスナックをしていたそうです。
---- 昔の門司港は外国人も多かったときいています。
お母さん 多かった多かった。外国人がね。
---- その時のスナックってカラオケはあったんですか?
お母さん カラオケはね、なかったです。ギターを抱えてね。弾き語り?
---- 流しの人ですか?
お母さん そう流しのおいちゃんが来てた。その後、ここ改装してしまって、何回改装したかわからん。(笑)
---- そんなにですか!
お母さん このお店にだけは本当にお金をかけてきた。
---- 改装の時にみかんの箱が出てきたんでしょ?
(店内の壁を剥ぐと、みかんの木箱でできた壁が出てきたそうです)
お母さん そうそうそうそう。きっと今だに、壊したら出てくると思うんだけどね。
---- この建物が立ったのは戦後すぐとかなんですかね?
お母さん そうだったろうね。もう、私たちが子供の頃の街並みは、そらもう人が「なんでこんなに人がいらっしゃるんだろう」って。銭湯もたくさんあったしね。銭湯なんていうものは、あそこに残っているだけでしょ?
(門司港に残る銭湯は、ポルトの近くの「きく湯」さんだけとなってしまいました)
---- スナックに来てたのは、外国人とか船関係の人とかだけですか?
お母さん もちろん一般の方とかもいらっしゃるんですけど。またもう、全然、なんて言うのかな。人間性というのかな。まあ、門司港の人間の竹を割ったような性格で。
---- へー!
お母さん こうゆう風な仕事をしていていつも思いよるのが、こうゆう風な同じことを毎日するような平々凡々というのもおかしいが、こうゆうのが一番難しいというか。
そうお話ししながら、徐に数枚の古い写真を出してくださいました。
お母さん これが何十年前かね。
(壁に貼られたメニュー表の前に男性が立っている写真を見せながら)
これが後ろに書いてあるのみて。金額があるやろ。見てん。金額は変わってないやろ。
---- うわぁ!本当ですね!
お母さん これが旦那なんよ。旦那さん今はなくなったんよ。三年前に。
---- これ写真とっちゃダメですか?
お母さん 嫌よぉ。
---- 笑
お母さん 恥ずかしい(笑)。これは、おばちゃんがスナックしよった時の。
---- 見たい!これも写真に撮るのは恥ずかしいですか?
はにかんで頷きながら、写真を取り出すお母さん。
---- わぁ綺麗!なんか日本美人って感じですね!黒髪で。綺麗!
(若かりし頃のお母さんとお客さんが写った写真。その後ろにはお酒がズラッと並んでいます)
お母さん ウイスキーとか全部置いてから。この時はカラオケとかまだなかった。
---- それじゃあこの時はお酒飲んでおしゃべりしてって感じなんですね。
お母さん これはおばちゃんが昭和五十五年ごろエステをやっている時の写真。
(仰向けの女性に背術を施すお母さんの写真)
---- えぇ!エステはどこでしてたんですか?
お母さん 小倉。小倉駅前。今は新幹線の乗り場になって。
---- それじゃあ、昼間エステして、夜はスナックして?え!すごい!いつ寝てたんですか!?
お母さん 夜寝てた。なんかなしその頃はね。
---- スナックは何時までだったんですか?
お母さん 下手したら明け方とか。
---- 夜は何時からオープンしてたんですか?
お母さん スナックしよった時は、5時過ぎごろから入ってきてた。だけど本当なんて言うのかな、何がいいかって言ったって今があることに感謝よ!ね。
---- すごいですね。ずーっと長い間。
お母さん 長い間来たんよ。通ってきただけなんよ。だけ、まぁ、あんたもお父さんも元気なんやけん大事にしてやらな。
---- はい、大事にします!娘さんもすごいなと思って。私。
お母さん あ、うちのジュンちゃんやろ。いやぁ〜天ぷらをあげたって天下一品やし。本当。一日一日に感謝しながらね。今日一日お疲れ様でしたって。自分の体にね、お礼を言って。
---- はい!
お母さん いろんなことがたくさんあると思う。嫌なこと。だけど、それは通らないけん自分の人生やけね。嫌なことがあったら「私にここを通りなさいよ」と言ってくれてるんだなって自分に自分で言い聞かせり。
真面目で一生懸命。お母さんの話し振りからはそんな人柄がひしひしと伝わってきます。そしてなんだか背中にぱん!と気合を入れてもらったような、そんな気持ちになるんです。
カウンターに立つ姿を見ることも、あの味を味わうこともできないはとても寂しいのですが、「きっと門司港のどこかで誰かを元気にしているんだろうな」とこれまでと変わらない姿が目に浮かんできました。
お母さん、長い間お疲れ様でした!
次は門司港の町角でおしゃべりしましょうね!