某TV番組をリスペクトして始まったポルトの新しいイベント、それが『菊子の部屋』です。
宿主菊池が広い交友関係の中から「今この人と話したい」「みんなにこの人の面白さを伝えたい」という方を選出し、ゲストにお招きしてマンツーマンでガッツリ対談してもらい、さらにその様子を参加者さんたちが“視聴者”として見守る、というイベントです。
菊池は本当に交友関係が幅広いのですが、それは菊池が一癖も二癖もある変わった人間なので、それを面白がって集まってくる人たちが多いからかもしれません。
ゲストに選ばれた方は変わり者の菊池から指名されるのは多少複雑かもしれませんが、菊池が注目しているというのはかなりのパッションがある人だということ!決して同じような変人と思われてるわけでは!!ない、はず!!!
そして参加者のみなさまは、濃い人同士の珍獣対決のようなディスカッション、はたまたどちらかが猛獣使いとなってうまく言いくるめる様をおたのしみいただけるのではないでしょうか。どちらにせよ、なかなか見ものだと思われます。
さて、そんなわけで第一回。
ゲストに選ばれたのは、池上貴弘さん!
ポルト界隈では知らない人はいない、門司港の超有名人。
…なのですが、池上さんのことはみんな知ってても、どんなにすごい人なのかは伝わっていないようです。
特にポルト女子たちは、池上さんがお人好しなのをいいことに、あれやこれやと用事を押し付けたりお願い事をしたり…
常日頃その現状を嘆いていた菊池は、どんなにすごい人なのかをポルトクルーたちに知らしめようという確固たる意思のもと、第一回目のゲストを池上さんに決めたのでした。
♪ルールル ルルルルールル ルルルルールールールールー
というあのおなじみのテーマ曲とともに、菊子の部屋は始まりました。(リスペクト)
茶の間にソファを並べて某TV番組に少しでも近づく演出も忘れません。(だってリスペクト)
まずは、池上さんご自身に自己紹介をしていただきました。
出身は小倉ですが、会社が門司港にあったため10年くらい前から門司港に住み始めた池上さん。
お仕事はトラックや建設機械を解体して輸出する会社の社長さんです。
そして、海外からアーティストを呼んで、門司港に滞在してもらいながら作品を制作してもらう、というアートプロジェクトMAP(門司港アートプラットフォーム)も主催しており、門司港のために尽力している立役者でもあります。
とはいえ池上さんは会社の社長さん。
忙しくて補えない部分は、自然とアートに興味がある人たちが集まり、助けてくれているそうです。
「街の魅力は面白い人がどれだけいるかだと思うので、そういう人がたくさん集まってくれたらいいな、という目的でMAPをやっています」と池上さん。
さらにMAPの一環で、アートの観点から“記録より記憶を残したい”という思いのもと、最近では門司港の歴史について調べたり資料を集めたりに余念がないそうです。
さて、ここで門司港の歴史の話を伺う前に、菊池が「池上さんがこの建物(ポルト)を買った経緯ってみなさんご存知ないですよね?」と視聴者に投げかけました。
そう、池上さんは社長さんでありアートプロジェクトの主催であり、そして我が門司港ゲストハウスポルトの建物のオーナーでもあるのです!!
菊池「僕がなぜ池上さんからこの建物を借りることになったのか、そこも含めて、せめてポルトの社員には知っていてほしいと思うので笑、ぜひ聞かせてください。」
池上「一般企業に勤めてて東京、大阪、海外での勤務が多かったんですが、こっちに戻ってきたときに、門司港ってあんまり住むところがないんですね。それで、とりあえずマンションに住んで面白い物件をあちこち見てまわってて。そのときに気になったのが、ひとつが旧門司文化服装学院と、もうひとつは、ここだったんです。ところが、ここは(ポルトの前の)ゲストハウスとして営業することになった、と。」
そんなこんなで、そのときはあきらめたという池上さん。
しかし、数年後そのゲストハウスも次に引き継いでくださる方を探していることを知ります。
池上「ここであれば何か活用ができるんじゃないかと思ってですね。で、ちょうどそういう話が出ていたときに、くっちゃんから『買ってくださいよ』と言われたんです。」
Σ(;゚∀゚)ノギクッ
池上「『もう池上さんしかいないんです~』と泣きつかれて。」
(σ´・v・`*)テヘ
そうなんです、実は前のゲストハウスの頃からこの建物が大好きだったわたしは、建物がこわされてしまうのを阻止するため、当時からそのお人好しさを知っていた池上さんに頼み込んだのでした。
もちろん簡単な話ではありませんが、こんな素敵な建物を存続して、かつ門司港のために活用してくれる人は池上さんしかいない!と、一縷の望みを託して。
池上「門司港に面白い人たちを呼び込みたい、という思いはずっとあって、集まれる場所が必要だしいろんな人に来てもらってパッと泊まれる場所があったらいいと思っていたので、その日の夜考えて『買おう』と。それで、すぐ次の日に持ち主の方に会う約束を取り付けて。」
菊池「かっこいいなぁ。買い方がかっこいいですね。」
池上「ちょうどそのくらいのときに、どうやら菊池くんっていう見込みのある若者がいるらしい、ということも聞いて。」
なんというタイミング!
運命的なものを感じます。
わたしもそのときは、まさかこの建物で働くことになるとは思っていなかったので、とても不思議なのですが。
他にも池上さんを頼る声はたくさんあり、男気のある池上さんのおかげでポルトの建物は守られた、というわけです。
池上「なぜ古い建物を残したいのか、というと、やっぱり古い建物がひとつでも残ってないと、昔はこんなんだったんだな、というのが想像もできないじゃないですか。だからそういう記憶にアクセスする装置、みたいなことで、一軒くらいは残ってないと、昔の思い出とか話せないんじゃないかと。記憶に結び付いて、都市の記憶を残したい。そういうプロジェクトの一環でもあります。」
さて、ここから歴史の話に移っていきます。
ここポルトがあった場所は、どんなところだったのでしょう。
池上「この東門司というのはすごく面白い場所で、当時門司港が一番栄えてた頃はこの辺がとても華やかだったんです。その昔、近くに花街があったので、飲食店や宿屋、バーや喫茶店が立ち並んで。」
菊池「トンネルが開通した頃ですね。」
池上「そう。今日も、開通前夜の話をしようと。」
ここで取り出される池上さん秘蔵コレクション。
貴重な資料の数々を持ってきてくださいました。
池上「わたしが前々から集めてる昭和33年グッズというのがあって(笑)。昭和33年というのは、門司港が第二、第三のクライマックスを迎えた時期なんです。トンネルが開通した、パコダができた、ロープウェイができた、中央市場ができた、そして栄町商店街のアーケードができて、大通りが舗装されて、お洒落なお店とかも、全部がその年に開業されました。」
菊池「関門トンネルの当時の資料もあるんですか?」
池上「持ってきてます。いつかは関門トンネル博物館をつくろうかなと(笑)。」
菊池「ぜひポルトに資料を置いてほしい(笑)。」
池上「関門トンネルが開業したとき、老松公園で【トンネル博】という万博が行われたんです。やっぱり、海底トンネルというのは世界から見ても一大事業ですからね。」
その昭和33年は全国紙でも門司港が大特集されたそうで、池上さんはその当時の雑誌などもコレクションされていました。
その他にも、トンネル博のパンフレットなど、貴重な資料が並びます。
ポルトで見つかった、当時のメニュー表も!
民間で初めて関門トンネル構想を練ったという【青山国造】さんの資料に至っては、段ボール1箱分はあるそうです。
トンネルの設計図などは、うっとりするほど美しい精密さ。
日本で一番関門トンネルに関する資料を持ってるかも、と池上さん。すごい…
そんな池上さんの貴重な資料の数々を囲み、その日は『菊子の部屋』として一旦締めたあとも、歴史好きさんや昔を懐かしむ方々同士で話は尽きなかったようです。
ゲストの池上さん、本当にありがとうございました!
門司港のため、記憶遺産を残すため、尽力する池上さんは間違いなく、すごい人でした!!
ポルトクルーたちの池上さんの見る目は完全に変わりました。
だからといって池上さんに今後一切お願い事をしないかといえば、それはまた別のお話ですが…笑
池上さんは、すごい人である以上に、とても心やさしき人なのです。
これからも甘えてしまうポルトクルーのこともきっとゆるしてくれるはず。
さて、かなり濃い内容となった第一回菊子の部屋、次回のゲストは一体どんな人なのか!?
乞う、ご期待です^ ^